こんにちは、広報ウーマンのネギチです。
「出向」と聞くとどんなイメージを持ちますか?
某銀行ドラマの影響もあり、「人生終わり」みたいなイメージを持つ人も少なくないのではないでしょうか。
もしくは、そういうのあるらしいけど「自分には関係ないや」といった感じでしょうか。
大多数の人は出向とは無縁の人生を送ることになるので、それは普通の反応だと思います。
実際のところ、私も出向のことなんて考えたこともなかったです。
そう、出向の辞令が言い渡されるまでは。
…いや、自分の身に降りかかるとびっくりしますし、複雑な心境になりますね。
そんな人が毎年何人もいるはずなので、自分の出向時の体験談を紹介しようと思いました。
私は子会社から親会社に約3年出向していましたが、当然ですが人生が終わることなく、むしろよい方向に変わりました。

「出向も悪くない!」ということを語っていくよ
第1部:出向の辞令は突然に!約4年のSE生活が終了

社会人となって4年目の秋、それは、いつものようにパソコンに向かって仕事の山を片付けていたときでした。
「ネギチさん、ちょっといい?」
普段仕事のつながりがない部長からの突然の呼び出し。
(え?え?何かやったっけ…)
(毎朝遅刻ギリギリになっていることかな、残業が上限いっぱいのことかな)
温厚な部長を怒らせるようなことをしたのだろうかと、不安に思いつつも後ろについて行きました。
会議室に入り、軽い雑談を2、3した後、話は本題に入っていきます。
「親会社で人がほしいって話があるんだけど出向って興味ない?」
「…出向!?」
予想していた方向性とまるで違ったため、私は一瞬話を飲み込めませんでした。
私のいた会社では出向していた人は何人かいましたが、全体の1割程度といったところで、自分が出向の対象になるとは考えたことがありませんでした。
ポカンとする私をよそに部長は話を続けます。
「広報をやっている部署でITに強い人材がほしいらしくて」
「…広報部!?(って何しているとこ?)」
出向ってだけでもインパクトが強いのに、入社してからSEしかやっていない、そもそもSE職しか採用していない会社の人間が広報?
まったくイメージつかないけど大丈夫かな?
そんなことを思いつつも、そこはサラリーマン。
辞令にNoという返事はありません。
「はい、問題ないです」
そう答え、これがきっかけで私のSE人生は終わることとなったのです。
- 出向に選ばれる人はどんな人?
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子会社から親会社への出向の場合、出向に選ばれる人は期待されている社員というイメージもありますが、私や周りの出向社員を考えるとそんなことはなかったです。
エース級社員や期待の若手は部署が出したがらない。かといってあまりに無能だと親会社に迷惑をかけるリスクがある。期待値は高くも低くもない適当な人材が選ばれているのかなという印象でした。
- なぜ出向社員に選ばれたの?
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部長からは、文章能力やプレゼン資料作成の評価が高いので、広報部でもそういったスキルが役立つからという説明を受けました。
本当のところはわからないですが、確かに資料作成は色合いやレイアウトにこだわる方でしたので、ゴリゴリの技術者タイプのSEよりは指名しやすかったと思います。
- 出向期間は普通どれくらいなの?
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私のいた会社では2年間を設定することが多く、私も最初は2年という話でした。
しかし、出向先の社員と反りが合わずに半年くらいで打ち切った人もいましたし、出向先に頼まれて10年近く出向している人もいたのでケースバイケースですね。
第2部:出向前夜、装備を整えいざ広報の世界へ

部内に辞令が公になってからの約1カ月は怒涛の忙しさでした。
もともと火の車状態の部署だったので、引き継ぎに専念することなど到底できず、今まで通りに仕事をこなしつつ引き継ぎ資料をまとめる日々が続きました。
そのせいもあり、出向への不安よりも、「やっとこの状態から解放される!」という喜びがだんだんと大きくなっていきました。
出向の話以前から、「SE向いていないし転職したいな」と思っていたので、予想していた形とは違いましたが、むしろ渡りに船だったのかもしれません。
どうにか引き継ぎをやり切り、出向まであと数日に迫ったときに私は重要なことに気づきました。
出向先に来ていく服がない!!
今どうでもよいなと思った方、だって「広報部」ですよ?
ファッション誌から出てきたようなおしゃれな服を身にまとったキラキラ星人の巣窟ですよ?(偏見)
丸腰で戦えるわけがないじゃないですか!
SEのときも私服勤務でしたが、カジュアル過ぎなければなんでもありだったので、クローゼットを見渡してみても「これもダメだ、これも違う」という状態。
すぐに友達を召集して買い物に行き、ジャケットやきれい目のシャツなどの装備品を手に入れました。
実際は、意外とカジュアルやシンプルな服装の人が多く、とてもホッとしたのを覚えています。
- 出向前にやった方がいいことは?
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引き継ぎ、事務手続きに必要な申請、お世話になった方への挨拶回り、出向先上司へのご挨拶、デスク回りの整理はやった方がよいと思います。
私は引越しは不要でしたが、道順と駐車場の場所が不安だったので事前に下見をしました。
- 出向初日の持ち物は?
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普通にノートとペン、財布、スマホがあれば十分な場合が多いです。
あとは、事務手続きに備えて印鑑も持って行くとよいかもしれません。
最初は自己紹介が待ち受けているので、自己紹介で何を話すかは準備しておいた方がよいですね。
第3部:親会社の社内広報としてゼロからのスタート

出向先の広報部は業務ごとにいくつかのグループにわかれていて、私の出向先は「社内広報」を専門としているグループでした。
▼広報部の仕事内容については、下記の記事でも紹介しています。
社内広報は、「従業員を会社のファンにすること」をミッションに、そのためには何をいつどんな媒体で発信するべきかを企画し、社内報、社内webサイト、動画などの具体的手段で情報発信をしていく仕事です。
出向直後は、会社のことも知らない、広報の仕事のことも知らない、一緒に働く同僚のことも知らない状態で、新入社員の頃に戻った気分でした。
「20代後半なのにそんなゼロからの状態で大丈夫かな…」と不安に思いましたが、出向先は40・50代が多かったこともあり、部内に数少ない若手という扱いで親切に教えてもらえました。
年齢が高くなると求められるレベルが上がりますし、出向するなら若いうちの方が大目にみてもらえて得ですね。
最初の数カ月は、先輩について打ち合わせに出たり、仕事を進めていきました。
編集会議、ロケハン、東京でのイベント、海外とのやり取りなど、SE時代には経験したことがない仕事があふれていて、毎日とても新鮮な気持ちでした。
SEのときは毎日疲労困憊で死んだ魚状態だったのが、この頃はいきいきと働いていたと思います。
今から思えば、広報は華やかな仕事だけではなく、地道なコンテンツ制作や社内調整が重要なのですが、「広報は楽しい!」という思いを最初から持てたのは、その後のキャリアにとって大きかったです。
- 出向社員の扱いは正社員とは違った?
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私の場合は、大きめの仕事も主担当として任せてもらえましたし、福利厚生面やコミュニケーション面でも出向社員だからという差別はあまり感じませんでした。
給料は出向元水準ですので、やはり親会社の人より少なかったですが、その点くらいですね。
- 出向元の会社には連絡を取っていた?
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会社から義務付けられていたわけではないのですが、最初の半年くらいは2週間に1度ほど、出向元の上司と情報共有の打ち合わせをしていました。
その後は、仕事に慣れてきたのと忙しくなってきたのもあり、半年に1度の面談のときに連絡をしていた程度です。
- 人事評価はどう評価されていた?
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まず、出向先上司が何段階かある評価基準の中でどこに該当するかチェックし、その評価を基に出向元で決めていたようです。
しかし、この制度にはカラクリがあり、出向先上司は絶対評価で決めてよいため「頑張ってくれているし」と大体高めの評価をしてくれます。
一方、出向元で評価を確定するときには、相対評価になるよう割り振るため、「出向社員は評価が甘めになっているからワンランク下げよう」とつけていたらしいです。
どんなに頑張って成果を出しても一番高い評価は得られない罠ですね。
第4部:始まりあれば終わりあり、親会社での出向期間の終了

出向期間がずっと順調だったわけではなく、信頼していた先輩の異動、クラッシャー上司との戦い、新規プロジェクトへの苦戦などいろいろありました。
▼クラッシャー上司との戦いはこちらで紹介しています。
ときには辞めたいと思ったときもありましたが、一から企画したプロジェクトが上手く回り出し、周囲からの信頼も得られるようになり、2年目・3年目となるにつれ広報の仕事にやりがいを感じていきました。
そんな中、いよいよその時が来たのです。
「出向、来月までって決まったから」
そう上司から出向終了を告げられました。
出向期間が来月までというのは知っていましたが、当初の出向期間から一度延長をしていましたし、出向先ではまだ残ってほしいと言われていたので、延長を心のどこかで期待していました。
出向元としては、広報のスキルを上げていってもSEとしてのキャリアパスに役立たないので、自社に戻ってほしいということだったようです。
しかし、この頃にはSEに戻りたい気持ちが微塵もなく、今後も広報として働いていきたいと思っていました。
本音を言うと、出向先の会社自体が好きだったので、ここで広報を続けられれば一番よいと思っていましたが、叶わないものはやむを得ないので頭を切り替えました。
そして、私は「転職」という選択をしたのです。
出向元に戻ってすぐに転職するのは心苦しいので、リミットは出向期間が終わるまでの1カ月半。
そこからは、急ピッチで転職活動を進め、運よく広報で採用してくれる会社に転職することができました。
- 出向からの転籍はできなかったの?
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転籍はチラッと聞いてみたりもしましたが、子会社から親会社へとなるとかなりハードルが高いようでした。
私のいた会社からは今まで転籍の前例はないと聞きましたし、グループ会社間で引き抜きとなると、よっぽどの事情がないと難しいのかなと思いました。
- 出向してみてわかったことは?
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子会社から親会社への出向はローリスクハイリターンです。
最悪失敗しても出向元に戻ればよいだけですし、リスクなく自分の力を試せたり、新しいことに挑戦できたりします。
私は出向したことにより、広報という新たな職種を出会えて、環境が変わってもやっていけるという自信がつきました。
まとめ:親会社への出向は自分の可能性を広げるチャンスになる!
この記事では、子会社から親会社へ出向したときの体験談を中心に書いてきました。
- 出向でまったく知らない職種になることがある
- 引き継ぎや申請があり地味にめんどくさい
- 新入社員の頃のように新鮮な気持ちで働ける
- 望んでいなくてもいつか終わりが来る
- 出向によってよい方向に人生が変わることもある
私は出向が大きなターニングポイントになりましたし、出向して本当によかったと思っています。

出向にネガティブな気持ちの人もいると思うけど、こういう事例もあるって参考にしてもらえたらうれしい
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